耕作放棄地の再生(7)進入路跡の発見

前回、山裾部分について除草や樹木の伐採をおこないました。

その後、伐採した樹木を片付けていたところ、下写真のとおり山裾に道の痕跡のようなものがあるのに気がつきました。

ところで、この耕作放棄地(もとは水田)は典型的な谷津田(当地では「山田」と呼んでいます。)で、田を挟んで南・北の両側が山になっています。
そして、南側の山の尾根には農道(当地では「世古道」と呼んでいます。)が通っています(北側にも世古道があったと聞いていますが、既に通行できない状態です)。

世古道と田には高低差(5、6m程度)があるため、田の上流側に世古道からの進入路が設けられています。
上流側の田は、我が家の耕作放棄地とは異なり今も管理してみえるため、この進入路もきちんと整備されています(軽トラも通行できるため、作業するときはいつもこの道を使わさせていただいています)。

昨シーズンの作業中に地元の方と立ち話しをしているときに、昔はこの進入路とは別に我が家の耕作放棄地への進入路もあったと聞きました。
今となっては荒れ山で、とても道があったような状態ではないため、何かの間違いではないかと思っていました。

そうしたなか、今回、この道らしき痕跡が見つかりました。
除草したのは山裾だけですので、これがその進入路であるとは言い切れませんが、道らしき痕跡を伸ばすと下写真のように世古道に繋がっているようにもみえます。

遠望すると下写真のようになります。

この耕作放棄地は登記上は1つの田(約1反=1,000m2)ですが、除草により2つの段差が確認できたことから、もとは3枚の田(各3畝程度)に分かれていたようです(畦畔は既になくなっています)。
そのため、進入路が途中で2股に分かれ、それぞれの田(上写真で「その2」「その3」)へ行けるようになっているようです。
上流側の田(上写真で「その1」)については、先の、現在も通行可能な進入路から出入りしていたのではないかと思います。

このまま整備を続けていけば、人が通行できる程度の道を復活させることができるかもしれません(ただし、いつになることやら)。

<続きます>

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