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茶箪笥の修理

春になって雨が降ることが多くなってきました。
そんな雨模様の週末になると屋外での作業ができませんので、屋内で片付けなどを行っています。
物(ゴミ?)で溢れていた倉庫は、5年近くぼちぼち(ぼつぼつ)と作業を進めてきたところ、それなりに片付きました。

しかし、安易に捨てるわけに行かず、かと言って当面は使うあてがないため放置したままになっているものが残っています。
そのひとつが、古い茶箪笥です。

この茶箪笥は、亡き祖母が輿入れしたとき(昭和12年)に持参したものです。
私が幼かった頃には、主屋(古民家)の裏縁に置かれていたのを覚えていますが、祖母が昭和61年に亡くなり、当時は自宅で葬儀を行っていたため、その邪魔になって倉庫に移動・仮置き。
そして、仮置きのまま30年以上が経過・・・。
倉庫内の環境は厳しいため、茶箪笥の引き戸(上写真参照)は壊れてバラバラの状態、本体も油分が失われて白っぽくなっています(下写真は側板部)。

実はこの茶箪笥は、父が飛び込みでやってきた骨董屋(リサイクルショップ?)さんに5,000円で譲る約束をしたのですが、引き取り時に偶々、父が留守にしていたため、引き取られずにそのまま残っているという経緯があります。
今時、茶箪笥なんて無くても構わないものですが、こうして残ったのも何かの定めなのかもしれませんので、時間のあるときに手を入れて再生することにします。

もうひとつ、倉庫内に長年置かれたままになっているのが、昔、餅つきに使われた臼(木製)です。

杵も残っているため、いつか餅つきができればと思っていたのですが、保管時の状態からひっくり返して確認したところ、天端がシロアリにやられています・・・。

直接、土間に置いてあったわけではないのですが、木材(角材)を土台にしていたため、それからシロアリが移ってきたようです。
シロアリに喰われている箇所を切断し、その分だけ鉢部分を深くすれば再び臼として使えるかもしれませんが、そこまでする甲斐はないでしょう。
この機会に解体して薪ストーブの燃料として使うことにします。

解体する前に臼のサイズを計測すると、直径が48cmあります。

臼なので材質が強靭なケヤキが使わているのだと思いますが、これほど太いケヤキの木があり、それをよく伐採・加工(当時は全て手作業)できたものです。

楔を打って割ろうとするも全く歯が立たず(ケヤキは粘る)、チェンソーで切断。

外面は乾燥により白っぽくなっていましたが、断面からはケヤキの赤身が現れました。
これを見ると、なんだか薪にするのは勿体ないようにも感じ・・・。
そこで、一部分を工作材(下写真で右下のブロック)として残して薪割り。

臼のほうが片付いたため、茶箪笥の修理に取り掛かることにします。
まずはバラバラになっている引き戸から。

各部材を確認すると一応全て揃っていますので、木工用ボンド(酢酸ビニル樹脂)で接着して再組立(製造当時はニカワやウルシで接着?)。

引き戸もそうですが、本体も油分が失われて白っぽくなっていますので、全体に亜麻仁油を塗布して油分を補うとともに磨きます。

油分を補っただけで一気に若返りました!!

最上部の引き戸は下写真のとおり襖のように和紙が貼られたものになっています。

色褪せだけならともかく、破れもあるため表装し直すしかありません。

表装し直すために分解しますが、念のため組み合わせを記しておきます。

元々の表装を確認すると、突き板の表裏に和紙が糊付けされていますので、それらを丁寧に剥がします。

裏面から貼り直すことにします。
元々は茶チリのような紙が使われていましたが、手元にないため封筒の黄色っぽい紙(上写真で左側)で代用することにします。

この紙をデンプン糊を使って貼れば良いだけなのですが、普通にやると間違いなくシワが寄ります。
以前、五月人形(武者人形を配置する台座部、下写真で朱色矢印)を修理する際、和紙を貼り直す必要があり、そのときに紙の専門店で貼り方を教えていただいたことがあります(修理後、一式を自治体の郷土資料館に寄贈済)。

その方法は、基本的には板襖に襖紙を貼るのと同じで、前もって和紙にたっぷりと水を含ませ、その十分な水だけで貼るぐらいの勢い(糊は少なめ)にすると良いとのこと。
この教えに従い、まずはスポンジで紙にたっぷりと水を含ませます。
水が馴染むのを待つ間に、水で溶いたデンプン糊を刷毛で板に塗ります。

水を含ませた紙を板に貼り、柔らかい布等で表面を撫でて全体を密着させます。

余分の紙をカッターで切り落としておきます。
障子貼りのときと同じですが、このとき定規(地べら)をしっかり押さえるようにすると上手く切れます。

(自然)乾燥後が下写真で、シワになることなく綺麗に仕上がりました(感謝!紙屋さん)。

裏面で練習したところで、いよいよ表面です。
表面には元々、金色の紙が使われていましたので、紙屋さんで金色に彩色された和紙(越前和紙、300円程度)を入手。

貼り方の手順は裏面と同じため省略。
裏面同様、綺麗に仕上げることができました。

次に手掛け(上写真で下側にある金具)を取り付けますが、4枚の引戸に対して金具が3個しかありません・・・。
今となっては同じものを入手するのは困難かと思いますので、1枚は手掛け無しとします。

枠と板とは接着剤で固定してあるのではなく、極小の釘(今回は真鍮釘を使用)を使って外れないようにしてあるだけでした。
再表装や、板と角材との収縮の違いを吸収するためだと思いますので、同じようにします。

引き戸の修理完了。

やはり、新しい紙に貼り直すと良いものです。

元々の和紙(下写真で右側)と比べると、その違いは歴然です。

祖母が我が家に輿入れしたのは昭和12年(1937年)ですので、82年でここまで変色・劣化したわけです。

修復した引き戸を取り付ければ完成です!

ちなみに上写真で茶箪笥の右側に写っているのは、昨年にテーブル(テレビ台)として再生させたミシン台です。
このミシンも、茶箪笥と同じく祖母の嫁入り道具です。
昨年に祖母の三十三回忌も終わったことですし、祖母の思い出の品としては、この二つを残して活用することにし、他のもの(長持ち等)は処分しようかと思っています。

で、修理した茶箪笥をどうするか?
玄関脇に小部屋がありますので、そこにでも置いて来客時にお茶(実際にはインスタントコーヒー!?)を出せるようにしておくと良さそうです。

昔の火鉢を転用したテーブルもありますので、お茶するのに丁度良いことでしょう。

耕作放棄地の再生(29)公図混乱とスギの植林

前回、大きなカシの木を伐採しました。

伐採後の山側の遠景が下写真になります。

山の斜面部については既に竹(孟宗竹)の皆伐が完了し、将来的に雑木林に移行すべく、前回、クヌギの植樹も行いました(メインは自生えの雑木)。

この場所で今シーズンに作業できるのはこれぐらいですので、作業場所を田圃(谷津田)を挟んで反対側(南側)の山に移すことにします。
こちら側の山は竹が侵入していないため随分マシとは言え、蔓や笹が蔓延って荒れた状態にあることに違いありません。
蔓については、2年前に根元を切っておいたところ、既に枯れ落ちています(蔓は見掛けとは異なり、対処しやすいです)。
笹については、田圃への進入路跡を中心に刈って風の通り道を確保したところ、全体的に笹の勢いが落ちてきているようです。

ところで、上写真で世古道と進入路跡との間(斜面部)は笹が刈ってありません。
と言うのは、進入路跡のところは我が家の所有地(山林)であるものの、そこからどこまでが我が家の土地なのか知らず、もし他所様の土地であれば、笹と言えども勝手に刈るわけにはいかないからです。

こうした場合に参考になるのが公図で、父が亡くなって土地を相続した際に法務局でひと通り入手してあります。
公図には筆ごとの位置関係が下図(関係部分のみ抜粋)のとおり示されています。

この公図を見ると、我が家の土地(山林)と赤道(世古道)との間に、我が家の所有地ではない筆(上図で緑色着色箇所)が存在しています。
これが正しいとすると世古道(赤道)沿いは我が家の所有地ではないことになります。
一方、以前、隣接(上流側)の地権者Aの方に我が家の所有地との境界を尋ねたことがあり、「境界は世古道沿いにあり、それより奥(緑色着色箇所)はお宅(我が家)の所有地である」と教えていただきました。
一体全体、上図で緑色着色箇所の土地は何ものなのか??
公図には地番が示されているため、その筆の登記簿を法務局で閲覧すれば地権者を調べることができます。
とは言え、手間もお金もかかり、二束三文(タダでも要らない!?)の土地のために中々そこまでできず、ズルズルと今まで来てしまいました・・・。
しかし、境界もわかっていないようなものを、ちゃんと管理できるはずがなく、重い腰をあげて法務局で調べることに。

調査の結果、緑色着色箇所の土地は、隣接(下流側)の地権者Bの方の名義になっていることが判明。
そこで、地権者Bの方に尋ねると「公図の赤道(世古道)が現況に合っていないようだ。お宅(我が家)との土地の境界は昔、ヒノキの大木(現在も株元が残存)があったところで、その奥の世古道沿いはお宅(我が家)の所有地である」と教えていただきました。
この地区の公図は、明治期に調製された旧土地台帳(大蔵省所管:課税目的)の付属図をベースにしたもので、元々概略的なものであることに加え、その後の時代の変遷で現況に合っていないところが多々あるようです。
今回は、たまたま地権者A、Bの方ともに我が町の生き字引き的な存在の方で、昔のことから良くご存知であるため、ハッキリわかったようなものです。
しかし、こうした方も既に80歳前後になってきているため、お元気なうちに色々と聞いておかなければと痛感しています(70代になると若い時から外に働きに出ている世代であるため、80代の方のようには知ってみえないことが多いです)。

長文となってしまいましたが、結局のところは世古道沿いは我が家の所有地で、道沿いの草刈りを含めて管理しなければならないと言うことです・・・。
そこで、世古道沿いの斜面に密生している笹を一旦、全て刈ることにします。

笹を刈ったところ、その中から5、6本の倒木とその株元が出てきました。

倒木はスギかヒノキのようで、残存している株元の配置からも、この斜面に植林されていたようです。
それが里山の荒廃とともに蔓に巻かれて枯死し、その跡に笹が密生したのでしょう。

笹の中からは倒木だけでなく、自転車まで出てきました(一昨年はお宝!?を発見)!

荒廃地に不法投棄ゴミはつきものですね・・・。

ひと通り笹を刈ったものの、問題は「今後どう管理していくか?」です。
笹は鬱陶しいですが、斜面の土留めの役割も果たしており、綺麗にしようと無下に刈れば斜面崩壊を引き起こしかねません。
笹の勢いを抑えつつも、より斜面を安定させるには、やはり木を植えるのが良さそうです。
田圃を挟んで反対側(北側)の斜面には先日、クヌギを植樹しましたが、こちらは南側斜面で日当たりが良くないため陽樹のクヌギは適していません。
やはり、元々植林してあったようにスギやヒノキが良いと言うことになります。

スギであれば、植林用に畑で苗木を育てているものがあります。

これらのスギは自宅敷地内に自生していたものを、2年前の4にここに移植したものです(3年生)。
当時は周囲のクローバーにさえ負けそうなくらいだったのが、今では樹高1m前後にまで成長し、移植するのにちょうど良い大きさになっています(来年では樹高が2mを越えて移植が難しくなります)。

ちなみに、畑には移植時期を逸したスギ(5年生)があり、下写真のとおり大きくなっています(樹高4m程度)・・・。

場所的に大きくするわけにはいきませんので、もう少し大きくなってから伐採して杭などに使うつもりです。
伐採後に残る根も土壌改良の役割を果たしてくれることでしょう(これも不耕起だからこそ可能です)。

さて、苗木を掘り上げます。

これくらいの大きさになると、根鉢も発達しています。

土付きのまま移植するほうが確実かと思いますが、運びやすいように土を落としました(昨年は土付きで移植して問題なく活着)。
このため一昼夜、水に浸けて水揚げさせることにします。

翌日、苗木を現場へ運び、斜面に植え付けていきます。

苗木を植え付ける場所は笹の根が張っていますが、それほど作業の支障になりません。
それよりも土が真っ黒で、畑の土よりも全然肥えている感じで、これなら元気よく成長してくれそうです。

竹を使って支柱を立てておきます。

植え付け完了。

斜面の中腹と、進入路に沿って約3m間隔で配置しています(計11本)。

植林箇所を離れた場所から眺めると下写真のとおりです。

植林箇所の左右にある木々は、カシやハゼノキなどの雑木です。
さすが雑木は強く、蔓に巻かれても生き残ることができたようです。

ところで、昨今は用材が輸入されていることから、スギなどの針葉樹よりも薪炭材として雑木(広葉樹)を求める人が多いような状況です。
しかも、スギは花粉症の元凶とされて人々から毛嫌いされており、そうした中、スギを植林するなんてことは反社会的行為とされてしまいそうです・・・。
しかし、今回植えたスギが用材として使える頃(30〜50年後)にはどのような自然・社会環境になっているか分からず、将来の世代のためにもスギあるいは雑木の一方に偏ることなく残しておいてあげる必要があるのではないかと考えています。