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遊休農地の活用(8)植生による土地の記憶

所在がはっきりしていなかった畑について、地元の長老にいろいろと教えていただき、場所を特定することができました。
しかし、長年、耕作放棄状態で、ノイバラや篠竹が一面に生い茂っている状態になっているため、この冬の間に一度全てを刈ることにしました。

南側:セイタカアワダチソウとノイバラ
北側:篠竹

早速、南側のノイバラが繁茂しているところから刈払機を使って刈り始めます。

ノイバラは株立ちして身長を越える高さにまで成長しているため、生垣を刈り込むような形で外周から可能な限り刈払機で刈り、棘の少ない状態にしておきます。

上写真の状態まで刈れば株元に手を入れることができますので、手鋸やチェンソーを使って株元から切り倒します。

この作業を最初は一般的な作業用手袋をはめて行っていたのですが、手の甲に棘が触れて痛い思いをします(今も出血跡が残っています・・・)。

革手袋に替えるもノイバラのジャングルには悪戦苦闘・・・。
ノイバラのエリアは一旦置いておき、気を取り直して篠竹が密生しているところを刈ることにします。

ノイバラに比べるとまだマシとは言え、篠竹は高さが3mほどあって刈払機も悲鳴をあげているように感じます。
刈払機(三菱農機、2007年製)は農業用のそれなりのものを使っていますが、さすがにこれは能力以上の作業で、早く機械をダメにしてしまいそうです・・・。

大きなエノキの木の周囲も刈ります。

蔓もある程度取り除いところ、スッキリした感じになりました。

篠竹のエリアをさらに奥へと刈り進め、奥側にある田圃が見えるようになりました。

風が通り抜けるようになって良い感じです。

そして、ついに全てを刈り終えました(作業は2、3時間ずつ行い、トータルで24時間程度)。

土手の部分は篠竹が壁を作って鬱蒼としていたのですが、明るくなって見通しも良くなりました。

全体を眺めると、刈り跡からノイバラ及び篠竹が密生していたエリアがはっきり区分されます。

ところで、この畑は所在さえ不明だったのですが、実は灯台下暗しで同級生のおばあ様が昔、耕作されていたのです。
そして、南に隣接して同級生の家の田圃があり、我が家の畑とともに耕作放棄状態になっていることがわかりました。
同級生のお母様から「畑のほうが少し高いため、田圃との境に段差があるはず」と聞くも作業時に気づくことはありませんでした。
しかし、刈り跡から区分される線上を改めて見ると、確かに少し段差が残っており、これが畑と田との境だったのです。

耕作放棄とともに畑に篠竹が生えるも、篠竹は水を嫌うため田圃には侵出できず、田圃にはノイバラが繁茂したのです(ノイバラは多少の湿地を好むのかも)。
耕作放棄されて数十年が経つものの、今なお植生が元々の農地(畑、田)の記憶を留めているとは驚きです。

さて、耕作放棄地につきものなのが不法投棄ゴミです。

こうしたものがあると草刈り時に危険ですので、片付けておきます。

枯れ枝などはいずれは朽ちて土に還るとしても、やはりあると草刈りの支障になります。

野焼きもしづらいご時世で(少し前にも近くで野焼きの延焼によるボヤ騒ぎ)、こうしたものの扱いに困っていたのですが、ウッドボイラーを導入したことで、その良い燃料になるので助かります。

こうして作業は完了しましたが、次の問題として今後どうしていくかです。
畑は自宅の隣接地(約1反:1,000m2)で十二分ですので、やはりここも果樹などを植え、隣接する道や耕地に迷惑を掛けないように定期的に草刈りを行って管理していくのが良さそうです。
将来的に果樹が大きくなっても、その日陰となる北側は道や池となっていますので問題ないでしょう。
今後しばらくの間(2、3年)草刈りを行って篠竹の勢いが落ちたところで果樹の苗木(現在、種から育成中)を植え付けたいと考えています。

遊休農地の活用(7)所在不明の耕作放棄地

我が家は先祖代々、農家です(現在、販売目的の営農は行っていないものの、法的には一定面積の農地を所有していることから農家に位置付けられています)。
このため先祖伝来の農地を所有しており、その大半は自宅近くの水田(約75a=7,500m2)です。
これらの水田は、以前は亡き父が兼業で耕作していたのですが、平成の初めに実施された県営圃場整備事業により大規模・集約化されたことから、現在は大規模営農されている方に全て耕作していだいています。

このほかにも田畑が少しあるのですが、それらは自宅から離れていることもあって50年以上昔から貸地としていました。
このため、私自身、どこに所在するのかさえ知らず、父が亡くなって相続登記する際、公図を頼りに現地に行ったところ、いずれも荒れ果てた状態になっていました。

奥側の荒地が我が家の水田(2013年5月撮影)

これらの田畑があるのは山あいで、圃場整備が行われておらず狭小地(10a)で水利も天水頼りです。
このため、時代とともに借り手がいなくなり、20年以上にわたり耕作放棄状態になっていたのです。
亡き父は自宅近くの水田(75a)を耕作していたため、ここまでは手が回らなかったのですが、私の代になって耕作する必要がなくなり、その分の余裕ができたため5年ほど前から耕作放棄地(や里山)の再生に向けて取り組み始めました。

上写真の耕作放棄地については、定期的に草刈りなどの管理を行って現在、下写真の状態にまでなっています。

2018年9月撮影

上写真の水田のほかには畑が2箇所あり、そのうちの1箇所(3a)は既に管理できていますが、問題は残る1箇所が所在さえはっきりしない状況なのです・・・。
公図(明治期に調製された旧土地台帳の付属図ベースのためアバウト)からすると下写真で中央の荒地だと思われるのですが、昔から我が家で直接耕作していないこともあって近所の長老に尋ねてもご存知ありません。

2013年5月撮影

遠目にはそれほどでもないですが、近くで見ると相当な荒れ具合です・・・。

2013年5月撮影

隣接する農道の通行の妨げにもなりかねず、草刈りだけでもしなければと思うのですが、我が家の土地だと言う確証が得られません。
こうした中、昨春、この近くにある畑(貸し地)の管理が我が家の手に返ってきました。
草刈りなどで定期的に通うことにより、この地区で耕作される方(長老)とも話しをする機会が得られ、この結果、先の荒地についても我が家の土地であることがはっきりしました。

こうなれば、あとはやるだけです。
草が枯れ、蜂やマムシなどが出なくなるのを待ち、この冬の間に全体を一度刈ることにします(とりあえずは最後の1箇所なのでやる気も出ます!)。

以下、現況です。

畑の一角にあるエノキ(またはムクノキ)が大きくなっています。
蔓も巻きついており、その影響なのか株立ちしている幹の一本が道路側に折れています。

(2018年4月撮影)

北側から見ると高さ3mを越す篠竹が密集しています。

(2018年10月撮影)

南側から見るとセイタカアワダチソウ(の黄色い花)が目立ちます。

(2018年10月撮影)

セイタカアワダチソウであれば楽勝と思ったのも束の間、近くで見るとノイバラのジャングルで早くも戦意喪失です・・・。

(2018年10月撮影)