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耕作放棄地の再生(8)樹齢45年木の伐採

先般、山裾部分の竹(ほとんどが立ち枯れ)を伐採しました。

その結果、倒れている竹がなくなり、幾分スッキリしました(下写真)。

さらに、上写真で朱色の線で囲んだ箇所(2箇所)の竹も伐採していくつもりですが、左側については樹木(上写真で矢印)と交錯し竹を倒せない状態になっています。

この木は前方にせり出し、樹冠がお隣りの田を覆っていることもあり、この機会に伐採することにします。

樹高は10m程度ですが、竹の勢いに押されて、前方に光を求め幹が湾曲しています。
見てのとおり落葉樹ですが、樹種はエノキ(ニレ科)かと思います。

根元の直径は30cmと結構太いですが、エノキだとまだまだこれから大きくなるのでしょう(しかし、主幹の湾曲により余計な力がかかっているため、寿命は短いかもしれません)。

伐倒の際の障害物はなく条件が良いとは言え、私のような素人にとってはこの程度(樹高10m、根元直径30cm)が限界のように感じます。
そう考えると、ちょうど伐り時なのかもしれません。

昔の里山には、土地の筆界となる木や、御神木、暴風林などの特別なものを除き、それほど太い木はなかったと聞いたことがあります。
昔は人力で伐るしかなく、雑木でこのように太くなると伐るのが大変ということもあったのではないでしょうか。

今の世はチェンソーを使ってアッという間に伐倒&玉切り完了。

細かい枝も大量に発生します。

このまま放置すれば、草刈りができず、草や蔓が繁茂して大変なことになってしまいます。

面倒ですが、バラして、少し太いものは焚き付け用に持ち帰り、さらに細かいものは草刈りの支障にならないように田面にバラまいておきます。

玉切りしたもので年輪を数えると、樹齢45年以上あります。

そうすると昭和40年代半ばから成長し始めたことになりますが、ちょうどその頃から里山に手が入らなくなったのかもしれません。
いずれにしても私の年齢以上に時間をかけて成長した木ですので、ストーブの薪として大切に使いたいと思います。

<続きます>

耕作放棄地の再生(7)進入路跡の発見

前回、山裾部分について除草や樹木の伐採をおこないました。

その後、伐採した樹木を片付けていたところ、下写真のとおり山裾に道の痕跡のようなものがあるのに気がつきました。

ところで、この耕作放棄地(もとは水田)は典型的な谷津田(当地では「山田」と呼んでいます。)で、田を挟んで南・北の両側が山になっています。
そして、南側の山の尾根には農道(当地では「世古道」と呼んでいます。)が通っています(北側にも世古道があったと聞いていますが、既に通行できない状態です)。

世古道と田には高低差(5、6m程度)があるため、田の上流側に世古道からの進入路が設けられています。
上流側の田は、我が家の耕作放棄地とは異なり今も管理してみえるため、この進入路もきちんと整備されています(軽トラも通行できるため、作業するときはいつもこの道を使わさせていただいています)。

昨シーズンの作業中に地元の方と立ち話しをしているときに、昔はこの進入路とは別に我が家の耕作放棄地への進入路もあったと聞きました。
今となっては荒れ山で、とても道があったような状態ではないため、何かの間違いではないかと思っていました。

そうしたなか、今回、この道らしき痕跡が見つかりました。
除草したのは山裾だけですので、これがその進入路であるとは言い切れませんが、道らしき痕跡を伸ばすと下写真のように世古道に繋がっているようにもみえます。

遠望すると下写真のようになります。

この耕作放棄地は登記上は1つの田(約1反=1,000m2)ですが、除草により2つの段差が確認できたことから、もとは3枚の田(各3畝程度)に分かれていたようです(畦畔は既になくなっています)。
そのため、進入路が途中で2股に分かれ、それぞれの田(上写真で「その2」「その3」)へ行けるようになっているようです。
上流側の田(上写真で「その1」)については、先の、現在も通行可能な進入路から出入りしていたのではないかと思います。

このまま整備を続けていけば、人が通行できる程度の道を復活させることができるかもしれません(ただし、いつになることやら)。

<続きます>