庭の散水栓(井戸水を水源)を整備し、ホースリールも繋いで、いよいよガーデニングにも井戸水を活用できるようになりました。
とは言え、ガーデニングと言う洒落たものには縁遠い人間ですし、芝庭も余程の日照りが続かない限りは水やりの必要はありません。
特別に水を要するような植物は何だろうかと考えると、やはり水生(抽水)植物の睡蓮や蓮が思い浮かびます。
睡蓮や蓮を育ててみるのも面白そうですが、それには鉢や池が必要です。
鉢と言えば、裏庭の片隅に転がっている臼を活用できそうです。
上写真は立ち枯れした杉の木を1年前に伐倒したときのものですが、危うく割ってしまうところでした・・・。
刈払機を使って草刈りする際も、こうしたものがあると邪魔になるため処分するか有効活用するようにしたいと思っていたのです。
この臼は分厚い陶製で相当な重さがあります。
3年程前のことですが、ちょうど遊びにきていた甥っ子にも手伝って貰ってひっくり返したのが下写真です。
ひっくり返したことで、臼の上縁に刻印があるのを発見。
判読しづらいですが、どうやら次のとおり書かれているようです。
知多郡常滑村とありますので、お隣の愛知県は常滑焼の産地で作られたものなのでしょう。
また、屋川(屋号「やまや」)の堀本吉次郎なる人の手によるものであることも分かります。
昔であればここまで調べて終わりだったのでしょうが、ネット時代の今の世、カチカチとキーを叩いて「堀本吉次郎」で検索すると、なんとヒットするものがあります!
常滑市民族資料館「友の会だより 第14号」に「陶製米搗臼」について書かれた論文が掲載されており、そこに堀本吉次郎の名があるのです。
そして、この論文に掲載されている写真を見ると、まさに我が家と同じものが写っています。
(常滑市民族資料館「友の会だより 第14号」、手水鉢に転用されている陶製米搗臼)
論文を読むと、この臼は明治後年に常滑で製造されたもので、精米用の米搗(こめつき)臼として使われたとのこと。
分厚い(肉厚6cm前後)のは米を搗いても割れないようするためで、そのため乾燥に6ヶ月以上も要するなど大変な労作だったそうです。
出荷先は三重・愛知・岐阜・大阪で、最盛期には年間1000個ほど売れたのだとか。
論文の末尾に、現在では思わぬところに転用されているとして、例として寺の用水甕、庭の造園用、植木鉢、手水鉢などが上げられています。
愛知県にある寺では立派な線香立(香炉)として活用されるそうで、我が家も睡蓮鉢よりも香炉にするほうが良いのかもしれませんね!?
ところで、明治後年に作られた米搗臼であることは分かりましたが、このような形状の臼を使って、どのように精米するのでしょうか?
餅つきのような感じで杵を使うのでしょうか??
私自身、生まれた時には既に電動の精米機が普及していた世代で、改めて考えると昔の人はどのようにして精米していたのか不思議に感じます。
そこで、またもやネットで「米搗臼」を調べてみると、株式会社クボタの「田んぼの総合情報サイト:くぼたのたんぼ」に写真付きで解説があるのを発見。
上写真のとおり足踏みにより杵を上下させて米を搗いていたのです。
「米搗きバッタ」の言葉だけは知っていますが、これを使って米を搗く様を呼んでいるわけです。
年長者にとっては当たり前のことでしょうが、恥ずかしながら今回の件で初めて知りました・・・。
ところで、上写真には柄の支柱に石製のものが使われていますが、これまた見覚えがあります。
下写真は先般、主屋の裏に芝を植栽したときのものですが、そこに同じようなものが写っています。
御影石を切り出したものですが、単純な直方体ではなくて一端が凹の形状に加工されているため、一体何に使ったものだろうかと長年思っていたのです。
この凹部に木の柄を通し、米搗き用の支柱として使われていたわけです。
まさか、これが先の陶製臼と一体のものだったとは、何十年とここに住んでいるにも関わらず初めて知りました・・・。
いずれにせよ、こんなところに放置されていては蹴つまずく原因になりますし、芝生を拡張する際にも邪魔になります。
処分するのもひとつの選択肢ですが、遠い将来には電気が使えなくなり、こうした精米方法が見直されるときが来ないとは限りません(我が家は100%玄米食なので、そもそも精米する必要すら無いのですが・・・)。
このため、陶製臼とともに石製支柱も残すべく、当面の活用策を検討したいと思っています。