前回、播き芝を行いました。
これで最初に計画していた敷石の再生と芝庭の拡張ができたことになります。
今後1、2年は除草等の管理を行いながらターフが形成されるのを気長に待つことにします。
ところで、坪庭のサザンカですが、上写真のとおり新芽が伸びてボウボウになっています。
新芽も固まったようですので、剪定することにします。
3年前から刈り込んで玉散らしになるようにしており、それぞれの玉の形ができつつあります(昔、この形状で仕立ててあったのか?)。
坪庭の外周は石で組まれているのですが、現在は様々な植物で隠れています。
芝生のターフが形成されれば、それらを少し整理し、海原(芝生)に島(坪庭)が浮かんでいるようにすると良いかもしれません(敷石は桟橋)。
敷石(石畳)は今回、玄関前から排水路までを再生させましたが、排水路以降も続いています。
どこまで敷石が続いているのか確認するため、昔の写真を探してみると・・・
この写真は亡き父が撮影したもので、おそらく昭和40年前後のものだと思います。
不鮮明でわかりづらいですが、敷石らしきものは見当たりません。
ちなみに同じアングルで現在、撮影したものが下写真です。
昔の写真から敷石はそれほど長くは続いていないことが分かったものの、一体どこまであるのか?
考えられるのは下図で朱色点線で示すとおり井戸まで続いているのではないかと言うことです。
敷石は主屋へのアプローチ用だと思っていましたが、元々は井戸へのアクセス用だったのかもしれません。
そう言えば、主屋への進入路(下図で緑色線)の地番には枝番が付されています。
つまり、明治初期(登記制度化以前)にはこの進入路は存在しておらず、その後に分筆して設けられたと考えられます。
そして、この進入路が存在しなかったと言うことは、その当時は別ルート(上図で水色線)で出入りしていたことになります。
これなら、敷石が井戸までしか続いていなくても説明がつきます。
どうでも良いことなのですが、我が家は祖父が早くに亡くなったことから、昔のことが余り伝わっていないこともあり、こうした痕跡から色々とわかってくると面白いものです。
昔は井戸までの敷石で用が足りたわけですが、現在は主屋へのアプローチになっているため、将来計画として下図のとおり延伸すると良いかもしれません。
井戸も使えるようにする予定ですので、途中から井戸へ分岐させています。
そして、マツ(門冠りなるように現在、仕立て中)を木戸の代わりにし、ここまで敷石を延伸させるとキリが良さそうです。
木戸から内側には自動車は進入しませんので、ここも除草軽減のため芝庭(播き芝)を拡張してと。
計画だけはどんどん先に進みますが、実行はいつなることやら・・・。