月別アーカイブ: 2017年3月

耕作放棄地の再生(10)世古道の現状

前回で竹の伐採が一区切りつきました。

その竹の伐採作業中のことですが、山の斜面に築堤状になっているところがあることに気づきました。
そして、そこは人が通れる程度の通路(下写真で点線)として使われていたような感じです。

昔はこの山の上に世古道が通っていたと同じ町内の方から聞いたことがありますので、その道から田への進入路(下写真で点線)なのかもしれません。

以前、田の南側の山裾を草刈りしたときに同様の進入路跡(下図で下側の点線)が見つかりましたが、北側にも進入路(上側の点線)があったようです。

ところで、上図は公図(旧土地台帳の添付図)ですが、田の北側に赤道(あかみち、≒公道)が描かれています。
同じ町内の方がおっしゃってみえたように確かに昔は山の上に世古道が通っていたのです。

ついでに、この周辺の古地図(下図)を確認しても、やはり世古道が描かれています。

ちなみに、この古地図は明治19年に当時の三重県が旧町村ごとに測量・作図したものです。
地図と言えば現在の国土地理院発行の地形図が歴史も古いですが、当地域では古いものでも大正です。
それより古く、かつ詳細に描かれていますので、当時の様子がよくわかる貴重な資料です(長年、県庁の土蔵に保管されていたとのこと。現在は県立博物館で閲覧可能)。

この世古道が現在どうなっているのか確認するため、今回見つけた進入路跡を通って山の上(山と言っていますが高低差7m程度の丘陵地)に登ってみることにします。

下写真は道中ですが、竹と樹木が絡み合っています・・・

さらに進むと平坦になりましたので、山(丘)の上に出たようです。

倒木があり、孟宗竹で鬱蒼としているものの、意外にも整然としています。
人の手が入らない自然だけの状態へと戻りつつあるのかもしれません。

その奥(下写真)は篠竹が密集し、立ち入ることができません。
まるで自然が人の侵入を拒んでいるかのようです。
世古道跡らしきところがありますが、かつて人が往来していたとはとても思えない状況です。

<続きます>

耕作放棄地の再生(9)竹の伐採

前回、下写真で矢印で示す樹木(エノキ)を伐採ました。

これで、さらに竹の伐採(上写真で丸で囲む2箇所)を進めることができるようになりました。

写真手前側に伐倒していきます。

チェンソーを使っているのですが、孟宗竹は高さ(15m超)があるので倒れるときの勢いもスゴイです。

稈も太いです。
下写真に写っている鉈の刃渡りが6寸(18cm)ですので、直径15cmはあります。

真竹だと最も太いものでこれぐらいですが、孟宗竹はこれが普通サイズですので伐るのも運ぶのも大変です。
しかし、何より面倒なのが枝払いです。
というのも、真竹だと鉈の背を枝の付け根に打ち込むことで枝を落とせるのですが、孟宗竹の場合は枝の付け根も固く上手くいきません。
仕方なく、ノコギリを使ったり、節に刃をあてないように(刃こぼれするため)気をつけて鉈で切ったりしているのですが、手間も時間もかかります。
自宅裏の里山の竹は真竹なのですが、もし孟宗竹だったらと思うとゾッとします・・・

払った枝は今後の草刈りの支障にならないようにバラまき、稈は早く腐るように田面に並べます。

田に水を張れば、水面に浮かぶ竹筏のようにみえるかもしれません(^_^)
この竹筏があるところ(2畝程度)は草の成長が抑えられ、草刈りが楽になることを期待していますが、さてどうなることやら?

作業後の様子です。

ちなみに、今シーズンの作業前の状態が下写真(丸囲みの箇所が枯れ竹の倒壊箇所)です。

上写真よりさらに1年遡った当初(整備前)の状況が下写真です。

<ビフォー>

<アフター>

変われば変わるものです・・・

竹の伐採については一区切りつきましたので、今シーズンの竹の伐採はこれで終了とします。
来シーズン以降については、竹を伐採した箇所の今後の推移をみて決めたいと思っています。

<続きます>